明けましておめでとうございます。学芸員の宗藤です。
コロナ禍の影響などもあり、ブログの更新が滞っていました。なんと3年ぶり(!)の更新です。楽しみにしてくださっていたみなさまに、心よりお詫び申し上げます。
今回は、展覧会でみなさんが目にする、作品の下あるいは横についている説明文(キャプション)ができるまでをご紹介します。お正月なので、現在開催中の新春特集展から、おめでたい七福神にちなんだ作品を例にとってお話ししましょう。
観音ミュージアムの新春特集展では、ふだんは収蔵庫におさめられている《大黒天立像》と《弁才天坐像》を中心に、七福神をモチーフにした彫刻や絵画を展示するのが恒例となっています。その説明文を私たち学芸員が書くわけですが、ひとくちに学芸員といっても、その専門分野はさまざまです。私は大学院で彫刻史を専攻していましたが、「絵画のことは専門外だから、絵画のキャプションは書けません」というわけにはいきません。博物館・美術館の収蔵品は多岐にわたっており、わけても当館のような小規模館では、ひとりの学芸員が様々な異なるジャンルの作品・資料のキャプションを書くことは決してめずらしくないからです。
今回の特集展示では彫刻3点、絵画8点を出展しています。絵画のうち2点は、江戸時代末期の浮世絵です。浮世絵は膨大な作品点数が市場に出回っており、それだけに愛好家やコレクターも多く、研究者顔負けの知見を持っている方も少なくありません。対する私は、正直にいって浮世絵は専門外ですから、ヘタなことを書くとどこからお叱りが飛んでくるかわかりません。キャプションを書くときも慎重になる必要があるわけです。

それでも、1点目の《福神あそび宝の牧狩》は比較的スムーズに書くことができました。江戸文化に通じた人なら、この絵が『曽我物語』の「裾野の巻狩」をモチーフにした見立て絵であることに即座に気づくでしょう。『曽我物語』については、観音信仰との関係から、過去に2度ほど学会で研究発表をさせていただいたことがあるので、私にとってはそれなりに親しい世界です。そこで、こんなキャプションを書きました。

“建久4年(1193)5月に源頼朝が富士の裾野で主催した巻狩は、同時に発生した曾我兄弟の仇討ちとともに東国武家社会の伝説として語り継がれ、江戸時代には歌舞伎や講談で庶民にもよく知られたエピソードとなりました。本作は、七福神を巻狩に参加した武士たちに見立てています。大黒天こと、大力無双の仁田忠常がまたがるのは山神の化身の大イノシシ…ではなく、ネズミ。大黒天は穀物の神であるため、ネズミがその眷属とされたのです。弁才天も持物である鍵を持って参加していますが、ここでは脇役のようです。”
穀物の神だからネズミ、というのは異説もあることと存じますが、諸説あるものについてはすべてを列記することはできません。(私の場合、ひとつの作品のキャプションはなるべく300字以内に収めるようにしています。)伝えたい情報の優先度を勘案しながら、トピックごとに字数を割り振っていくなかで、どうしてもカバーしきれない部分は出てしまいます。開き直りのようですが、ある程度はそれで構わないと考えています。キャプションはお客様にとっての興味のきっかけになればよく、「気になる」ことは持ち帰って調べたり考えたりしてみるのも、展覧会の楽しみのひとつだと思うからです。
また、今回の特集展示では、弁天さまが主役になるように展示全体のストーリーを構成しましたので、このキャプションではあえて「ここでは弁才天が脇役」という書き方をしています。
このように、展示のコンセプトやストーリーによって、同じひとつの作品でも情報の優先度が変わってきます。また、研究の進展によって、作品をめぐる知見がアップデートされる場合もあります。当館のように所蔵品展が中心の館では、キャプションは使いまわしたほうが効率が良いのは確かなのですが、いま挙げたような理由から私は展示のたびに新しくキャプションを書き直すようにしています。

さて、2点目の《七福神けいこまち》です。こちらは少々苦労しました。タイトルと絵の内容から、七福神がお正月に弁天さまの家に集まって、唄のお稽古をつけてもらっている場面なのはわかります。しかし、それだけではあまりに芸がないというか、牧歌的に過ぎます。子ども向けの絵本ならともかく、江戸の浮世絵はれっきとした大人向けの出版物です。何か仕掛けがあるにちがいありません。

そこで弁天さまのうしろの札に注目してみますと、「大こく志かん(大黒しかん)」と書いてあるのがわかります。江戸で「しかん」といえば歌舞伎の中村芝翫でしょう。つまり大黒さまの顔を当時の芝翫に似せて描いてあるということで、本作は役者のブロマイド的なものであったことが想像できます。しかし、その隣の「弁天たの」がわかりません。(今思えば、当然わかるべきでしたが……歌舞伎に詳しい方は、もうお分かりかもしれませんね。)
役者の名前の呼び方について、何かヒントが得られれば…と思い、インターネットの学術情報検索サイトを使って文献を調べてみると、思いがけず本作についての論文がヒットしました。
https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/sys_img/publication_117.pdf
浮世絵は印刷物という特性上、全く同じ作品が他の美術館や研究機関に所蔵されていることはよくあるのですが、ここまでピンポイントでヒットするとは思いませんでした。
関西大学博物館に所蔵されている同作をめぐる、こちらの岡泰正さんの論文には、「たの」は壮絶な生涯を送った名優・3代澤村田之助で、しかも本作が描かれた文久2年(1862)は、その人生を暗転させる悲劇が田之助を襲った年であることが見事に実証されていました。こうなると、もはや私が付け加えることは何もありません。かろうじて絵から自力で読み取ることができた素朴な情報をベースに、以下のようなキャプションを書きました。

“町人に扮した七福神が、唄の稽古の順番待ちをしているところです。弁才天は、三味線を手にしたお師匠さん。その背後の壁にかけられた木札には、「弁天たの」(田之助)、「大黒しかん」(芝翫)など歌舞伎俳優の名前が書かれていることから、七福神に見立てた役者の似絵という本作の趣向が浮かび上がってきます。鉢に植えられた梅花や、中国あるいは西洋風の豪華な酒肴、出入りの魚屋に扮した恵比寿がさばく大鯛など瑞祥にあふれた道具立ては、本作が新春をことほぐために版行されたものであることをうかがわせます。
参考:岡泰正「浮世絵「七福神けいこま
ち」を読み解く」
『阡陵 関西学院大学彙報』74、
2017年3月“ この絵に興味を持たれた方は、ぜひ岡さんの論文を読んでください、という思いをこめたつもりです。
けっきょく私は何も発見できなかったわけで、またしても開き直りですが、「これでいい」のだと思っています。学芸員は、自身が研究者であることを求められる一方、研究の最前線と社会とをつなぐ役割をも担っているからです。これからも新鮮なおどろきをみなさんとシェアできたら、と思っています。
新春特集展示は2023年3月12日(土)までです。皆様のお越しをお待ちしております。
観音ミュージアム学芸員 宗藤健