学芸員のオススメ「長谷寺の可憐な弁天さま」

鎌倉で弁才天というと、まずは江ノ島を思い出される方が多いかもしれませんが、安心してください、長谷寺にもいらっしゃいます!!
ふくよかなお顔に白い肌。なんともかわいらしい弁天さま。
大きさは17センチほど。小さなお像は厨子の中に納められています。

出世弁才天1

当ミュージアムが所蔵する仏像の中でも、一、二を争う可憐なお像といっても良いでしょう。弘法大師が造立したとの由緒を伝え、「出世弁財天」として信仰を集めてきました。このお像、現在開催中のリニューアルオープン展「長谷寺・仏教美術の至宝―彫刻編―」に出品中です。

じつは長谷寺には、当ミュージアムが所蔵するこの可憐なお像の他にも弁才天像が祀られています。一体は弁天堂、そして弁天窟という洞窟の中にはたくさんの弁才天像がいらっしゃるのをご存知でしょうか。この弁天窟には、小松光義氏によって彫られた出世弁財天像と十六童子像、また奉納弁財天といって信仰や願掛けのために参拝の皆さまが奉納した小さな弁才天がたくさん納められています。
なんと、長谷寺には数え切れないほどの弁天さまがいらっしゃるのです!

ちなみに弁天窟、こんな感じです。

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なんとも雰囲気のある洞窟ですよね。

この弁天窟、江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』には次のように記されています。
 弁天社 巖窟の内に安ず 高一尺五寸、弘法大師作、或いは運慶作とも云う、
ここから、江戸時代後期にはお寺の中に弁天窟があったことが分かります。さらにお寺の伝承では、弘法大師が弁天窟に籠もって修行したと伝えられていますが、残念ながら詳細は分かりません。

さて弁才天、もともとはインドのサラスヴァティーという、川を神格化した水の女神様です。中国で漢訳されて「弁才天」と訳され、五穀豊穣、音楽や学問の神様として信仰されてきました。ですので、日本三大弁才天と知られている江ノ島、竹生島、宮島は、いずれも海に囲まれた島で、水に関係した土地に祀られています。そして寺社の中で水辺に祠が建てられることが多いのも「水」と関係するからなのです。長谷寺の弁天堂も水辺にあり、弁天窟の中に池があるのも同じ理由です。

では、ミュージアムの弁天さまの話に戻りましょう。頭の上には宝珠をかたどった冠、正面に鳥居、そして大きな髻。よく見ると冠には珠などの装飾があります。顔は白く塗りふくよかな丸顔で、唇には朱を差しています。服を見てみると、彩色があり綺麗な文様が描かれていたようです。八本の腕あり、岩座の上に置かれた台座に右足を上にして坐しています。厨子の扉を見てみると、蓮が描かれていて水辺を連想させますね。

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厨子扉部分右
厨子扉部分左

厨子扉部分左
厨子扉部分右

じつは弁天さま、可憐なだけではありません。右側の4本の手には、刀、斧、宝輪、剣。左側の手には鉾、宝棒、羂索、鍵。ずばり武器を持っているではないですか!
弁才天を説く『金光明最勝王経』には、弁才天の持物を弓、矢、刀、矛、斧、長杵、鉄輪、羂索と記されています。また弁才天の戦神としての性格を示す言葉も見られ、さらに阿修羅を撃破したという神話もあることから、持物の武器はこういった戦闘神としての一面を表しているのだと考えられます。そして中世になると、日本古来の神で穀物神の宇賀神と結びつき福徳を強調するようになります。そのため『最勝王経』にはなかった宝珠と鍵を執り、頭上には白髭の老人の頭部を持つ白蛇の宇賀神と鳥居を戴く形が登場し、以後それが主流となっていきました。

当ミュージアムの弁才天像は江戸時代の作ですが、中世以降の主流である持物の宝珠、弓、矢などがなく、頭の上には宇賀神もありません。持物は後補とみられるため、当初何を持っていたのかは分かりませんが、左手の上から二番目の手は掌を上に向けているので、もしかしたらそこに宝珠が載っていたのかもしれません。
持物の異同があったり、宇賀神がなかったり、江戸時代の作としてのおおらかさが見てとれますが、全体のプロポーションは整っていて、冠の装飾などは繊細で、江戸彫刻の面白さを伝えるお像ではないでしょうか。

リニューアルオープン展「長谷寺・仏教美術の至宝―彫刻編―」は3月28日(月)まで無休で開催しております。
可憐な弁天さまを、ぜひとも間近でご覧になってみてください!

学芸員O